2006年珍道中日記2

オランダはチューリップ風車に代表されるおとぎの国の様な、そして、ゴッホやレンブラント、フェルメールなど絵画の巨匠を生みだした芸術の国。しかし、国土の1/4が海抜0メートル以下という低土地で幾度となく洪水の危険にさらされ、厳しい自然との闘いを繰り返して乗り越えてきた強さと、優しさのあふれる国です。たくさんの運河が街の中を流がれ、ハウスボートが横付けされ、その傍らのテラスで人々が一杯のコーヒーを前にゆっくりとした時を過ごす。水と穏やかに暮らす人々の国です。

3月23日 KLMオランダ航空の飛行機でオランダへ。前日まで締め切りだった私は、家を出る2時間前まで荷物のパッキングをした。この1月間、なんの恨みがあるのか解らないが7作品の仕事が入っていた。
格安チケットだったので、早朝便だったから、寝る間もなくヘロヘロで成田に着いた。でも、憧れのオランダに行けるのだから、そんな事は大したことではなかった。しかし、妹が免税店でギリギリまで買い物をするので、私は心配になり、搭乗口に先に行き、乗務員に「妹が腹痛で・・・あと10分待ってください~」とホラを吹いて安全確保をした。
旅の初日だというのに、なにも買い物しなくても良いだろうに、本当に勘弁してほしいわ~。
妹曰く、「だって、化粧品ゆっくりみたかったんだもん!」。確かに、この数年私に振り回されて、そんな時間は無かったね。二人でこんな風に旅をするのも初めてだ。旅の支度も殆ど妹がしてくれていた。まあ、これぐらいの我侭は仕方ないか。
 <機内>ついに機内!ワクワクと、ドキドキと、疲れとが入り混じった妙なハイテンションで座席に座った。つい、キョロキョロしてしまう。主人がつくってくれた旅の工程表と、注意事項とガイドブックを一度も見ていなかったので、機内で目を通そうと見るが、紙面をみているだけで、頭に入ってこない。まあ、何とかなるでしょう。しかし、実はこれが災いのもとだったのである。

 機内の座席は3人掛け。通路側に30歳前後の女の子(30を女の子と思うほど私は歳をとったのね、悲。)私達はトイレに行く度に彼女に頭を下げなければならない。長旅なのに、参ったな・・と思いながら、一回目のトイレに行った。彼女に悪いから、ついでに妹と二人で行く事にした。戻ると?!私のクッションが無い!???????なぜだろう?
まあいいか~、が口癖の私は深く考えなかった。2回目のトイレから戻ると、今度は毛布が無い!!!!!
え~~~??なんと、その30女が2枚使ってる!よく見ると、クッションも2個使っているではないですか!
即座に呼び方が女の子から、女に格下げになった。これから10数時間隣同士だっていうのに、なぜそんな事が出来るのか理解不能。実際に取るところを見た訳ではないから何も言えない。客室乗務員に「すみませんが、私のクッションと毛布がないんですけど・・」と告げると、ニッコリしながらけげんそうな顔をし、30女を見たけど、やはり何もいわずに、私に新しいものを持ってきてくれた。その30女は育ちは良さそうに見えたが、機内食を舐める様にもれなく食べる。奇妙な感じがした。トイレに行くときは、バッグの中身を盗まれるといけないから、一人づつ行こうと妹と話し合った。楽しみにしていたオランダ旅行の始まりがこれか?と思うと、ひどく不安になった。今まで色んな経験をしてきたけど、かなり奇抜な経験になった。泥棒と10数時間隣通しで座っているのは、非常に気分が悪かった。
毛布ぐらいで・・と思われるかもしれないけど、物の価値ではなく、行為が怖かったのである。

 前に座っているチョンマゲ男の日本人(35歳くらい)も最悪だ。シートのリクライニングをMAXに最初からしていて、ずっと上げようとしない。おかげで座席が狭くなり、身動きが取りにくい。バタバタ動くので私のコーヒーがゆれてこぼれそうで、後ろから蹴りたくなる衝動を抑えるのが大変だった。変な奴らに囲まれての機上だったが、妹と二人だと楽しく、あっという間にスキポール空港に着いた。「オランダの空港って、オランダ空港じゃなかったの~?」
と、天然ボケを発揮した私に、妹がバカを見るような顔をして深くため息をついた。旅行ガイドも、チケットも一度も見る暇がなかったので、全く無知な私だったのだ。ここはどこ?私はだれ?アムステルダムはどっち?あはははは。次回に続く



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