2006年珍道中日記3


時差のため23日到着・空港  
空港では俳優のI,Iが、フリンジ付きの女性物の黒いケープを着ていて、シナを作ってしゃなしゃなと前を歩いて行く。テレビで見るより釜、いや、カマっぽい。そうそう、同じ飛行機に乗っていたのだ。やたら機内を歩き回る変な奴だった。奴はアムステルダム行きの電車の方向にしゃなしゃなと腰をくねらせながら歩いて行った。なんで真っ直ぐ歩けないんだ?!私はまた蹴飛ばしたくなる気持ちを抑えた。アムステルダムには麻薬ストリートがあり、合法である。たぶん(ヤク)が切れて、補給にきたんだろう・・・なんて思いながら後姿を見送った。

私達はまだ空港に居た。機内のテレビ故障の為、15ユーロ(1ユーロ ¥145)のクーポン券が出た。降りた免税店でしか使えないとの事。大した金額ではないが、二人合わせると¥5000ぐらいなので使わなくちゃもったいない。免税店大好きな妹とあれこれ時間を掛けて選んでレジに運んだら、これは帰りにしか使えないと言われ、絶句。売り場戻しをした。到着荷物預かり所に行ったら、もう私達の荷物だけになっていて、その2個のトランクが寂しそうにグルグル回っていた。まるで私達を「アホー、アホー、」と言うかのように・・・・・・・。

チップのコインを持っていなかった私達は、そのすぐそばのフードショップで小さなワインを買い、チップの小銭を確保して、いざ電車の切符売り場へ。窓口のお姉さん、太っていて大柄で、黒人だ。隣の窓口のお姉さんとしゃべっていて愛想が悪い。気が付くとやたらに働く黒人が多い。ほっぺの赤いオランダ人と、黒人の組み合わせは不思議だった。全てのものを受け入れるオランダは、彼らにとって暮らしやすいのだろうか?異国民が多いのには驚いた。

<初めての電車> 大きなトランクを持って電車に乗るのは大変だ。世界一大柄の人種の国なので、電車のステップも50センチぐらいあり高い。アメリカにはどこにでも居るポーターの様な人は居ない。必死こいてステップをあがり、何とか乗車!ほっとしたのも束の間、一つ手前の駅で下車してしまった! ん?!アムステルダムにしては寂しいぞ!ここは違うはず!!そう、違ったのだ。路線図には載っていない各駅のホームだった。ちゃんと駅数を数えてたのに違ったのだ。とほほ。

<駅は不親切> この国の駅は非常に案内が不親切だ。各駅が路線図に載っていないなんて事は、日本ではありえない事だ。駅名を確認したくても、駅名のプレートは駅の中央一箇所だけ、しかも小さい。電車の中央、もしくは先頭に乗っていなければ、駅名は確認できない。アナウンスの駅名はオランダ語だから全く聞き取れない。駅名を発音出来ないから質問できない!英語で話しかけても通じない!こりゃ~大変な所に来ちまったかもしれないぞぉ~~~~。無謀な旅だったのかも知れない~~っ!
気を取り直してアムステルダムに向かう事にしたが、これまた路線図が訳わかめ(@@;日本から持ってきた路線図と全然違う。どどどど、どうゆうことだろう~?!とかんがえても仕方が無い。さて・・と思っていると、妹がスキンヘッドの黒のカシミアコートを着たコワモテのお兄さんに英語で質問し始めた。(日本と違って結構ものおじしないなぁ。)
コワモテのお兄さんが優しく丁寧に教えてくれた。各駅止まりと、快速の表示が無いので間違えるから、そのお兄さんが次のに必ず乗りなさいと教えてくれた。良かった。どうやらこの国は30歳以下じゃないと英語が出来ないようだ。
  電車が来た。お~~~!(@@:今度はもっとステップが高い!1メートルある!やばい!トランク上がらないかも!すると後ろから「Can I help you?」の嬉しい響きが~~(^0^)若いカッコいい金髪のお兄さんが持ち上げてくれた。オランダ人は結構優しいかも知れない♪・・・なんか、テンションが思いっ切り上がったり、下がったり、極端だ。天国と地獄が交互に来るみたいだ。これぐらいの事で・・と思われるかも知れないが、見知らぬ異国で土地勘が全く無く、言葉が通じなく、持ってきた頼みの綱の日本語の路線図が役立たずで、この電車を逃したらまた次が解らなくて、小人の私たちが電車の停車時間内に1メートルのステップをトランク上げられるか見当がつかない事がどれ程皆さんに解ってもらえるだろうか・・。
私達にとっては、「ぎゃ~、どうすんのぉ~っ?!」というぐらい大変な事だったのです。
そこで学んだ事が一つ、オランダに大きなトランクは持ってくるな!です。ステップが高いので、オランダ人は皆コンパクトな軽い布製のトランクを持っている。彼らは、小人の私たちが大きなトランクを押している姿はきっと滑稽だったに違いない。 
でも、駅前に広がる風景は、やっぱり素敵!!やっと水路と家並みに出会え、疲れも忘れ
て大満足。次回をお楽しみに。

2006年珍道中日記2

オランダはチューリップ風車に代表されるおとぎの国の様な、そして、ゴッホやレンブラント、フェルメールなど絵画の巨匠を生みだした芸術の国。しかし、国土の1/4が海抜0メートル以下という低土地で幾度となく洪水の危険にさらされ、厳しい自然との闘いを繰り返して乗り越えてきた強さと、優しさのあふれる国です。たくさんの運河が街の中を流がれ、ハウスボートが横付けされ、その傍らのテラスで人々が一杯のコーヒーを前にゆっくりとした時を過ごす。水と穏やかに暮らす人々の国です。

3月23日 KLMオランダ航空の飛行機でオランダへ。前日まで締め切りだった私は、家を出る2時間前まで荷物のパッキングをした。この1月間、なんの恨みがあるのか解らないが7作品の仕事が入っていた。
格安チケットだったので、早朝便だったから、寝る間もなくヘロヘロで成田に着いた。でも、憧れのオランダに行けるのだから、そんな事は大したことではなかった。しかし、妹が免税店でギリギリまで買い物をするので、私は心配になり、搭乗口に先に行き、乗務員に「妹が腹痛で・・・あと10分待ってください~」とホラを吹いて安全確保をした。
旅の初日だというのに、なにも買い物しなくても良いだろうに、本当に勘弁してほしいわ~。
妹曰く、「だって、化粧品ゆっくりみたかったんだもん!」。確かに、この数年私に振り回されて、そんな時間は無かったね。二人でこんな風に旅をするのも初めてだ。旅の支度も殆ど妹がしてくれていた。まあ、これぐらいの我侭は仕方ないか。
 <機内>ついに機内!ワクワクと、ドキドキと、疲れとが入り混じった妙なハイテンションで座席に座った。つい、キョロキョロしてしまう。主人がつくってくれた旅の工程表と、注意事項とガイドブックを一度も見ていなかったので、機内で目を通そうと見るが、紙面をみているだけで、頭に入ってこない。まあ、何とかなるでしょう。しかし、実はこれが災いのもとだったのである。

 機内の座席は3人掛け。通路側に30歳前後の女の子(30を女の子と思うほど私は歳をとったのね、悲。)私達はトイレに行く度に彼女に頭を下げなければならない。長旅なのに、参ったな・・と思いながら、一回目のトイレに行った。彼女に悪いから、ついでに妹と二人で行く事にした。戻ると?!私のクッションが無い!???????なぜだろう?
まあいいか~、が口癖の私は深く考えなかった。2回目のトイレから戻ると、今度は毛布が無い!!!!!
え~~~??なんと、その30女が2枚使ってる!よく見ると、クッションも2個使っているではないですか!
即座に呼び方が女の子から、女に格下げになった。これから10数時間隣同士だっていうのに、なぜそんな事が出来るのか理解不能。実際に取るところを見た訳ではないから何も言えない。客室乗務員に「すみませんが、私のクッションと毛布がないんですけど・・」と告げると、ニッコリしながらけげんそうな顔をし、30女を見たけど、やはり何もいわずに、私に新しいものを持ってきてくれた。その30女は育ちは良さそうに見えたが、機内食を舐める様にもれなく食べる。奇妙な感じがした。トイレに行くときは、バッグの中身を盗まれるといけないから、一人づつ行こうと妹と話し合った。楽しみにしていたオランダ旅行の始まりがこれか?と思うと、ひどく不安になった。今まで色んな経験をしてきたけど、かなり奇抜な経験になった。泥棒と10数時間隣通しで座っているのは、非常に気分が悪かった。
毛布ぐらいで・・と思われるかもしれないけど、物の価値ではなく、行為が怖かったのである。

 前に座っているチョンマゲ男の日本人(35歳くらい)も最悪だ。シートのリクライニングをMAXに最初からしていて、ずっと上げようとしない。おかげで座席が狭くなり、身動きが取りにくい。バタバタ動くので私のコーヒーがゆれてこぼれそうで、後ろから蹴りたくなる衝動を抑えるのが大変だった。変な奴らに囲まれての機上だったが、妹と二人だと楽しく、あっという間にスキポール空港に着いた。「オランダの空港って、オランダ空港じゃなかったの~?」
と、天然ボケを発揮した私に、妹がバカを見るような顔をして深くため息をついた。旅行ガイドも、チケットも一度も見る暇がなかったので、全く無知な私だったのだ。ここはどこ?私はだれ?アムステルダムはどっち?あはははは。次回に続く

2006年オランダ旅行(珍道中日記)

この旅は、2005年秋「そろそろオランダに行って本物の風車をみてきたらどうだ?
の主人の一言で始まった。
私は10数年オランダの絵ばかり描いてきたのに、一度もオランダに行ったことが無かっ
た。なぜだか解らないが行きたいと思った事も無かった。                     
だけど、主人の一言で??????!!!!!「風車見たい!」と火が付いた。
しかし、日々の忙しさで実感が沸かずモタモタしていたら、見るに見兼ねて主人が旅行代
理店の知り合いを連れて来て、フリー旅行のプランニングが始まったのである。
 
 私は風景写真を沢山撮りたかったので、ツアーで行く事は全く考えていなかったのだけど、オランダ語が解らないのに果たして自由旅行が出来るのか、本当のところ凄く不安だった。英語が少しは通じるらしいが、私の行きたい古びた土地は殆ど通じないらしい。でも、写真に詳しく、英語がそこそこできる双子の妹(勝呂正子)と一緒なら何とかなるだろうと不安を閉じ込めた。
 旅行希望プランは、ヒンデローペン村と、風車の連立するキンデルダイク、デルフト、ライデン、ハーグ、ベルギーのブルージュにゆっくり滞在し、写真を撮りまくりたい!というものだったのだが、ヒンデローペンに行くとなると大回りになり、11日間では3箇所が限界だとのこと。土地勘が全くない私(地理が苦手で方向音痴だ)は、めちゃくちゃを言うわがままな客らしかった・・・苦笑。そして、ヒンデローペンに関する情報が全く無く、代理店の知り合いを悩ませた。日本からヒンデローペンに行く人は殆どいないらしい。(サンーケイツアーだけ)
そんなこんなで、3月23日出発、アムステルダム1泊→レーワルデン3泊(ヒンデローペン近くの街)→ロッテルダム3泊(キンデルダイク近く)→ベルギー(ブルージュ)2泊  というプランになった。¥220,000也。

 旅行代理店の知り合いが用意してくれたのは、飛行機チケットと、三ツ星ホテルの予約と、移動のための鉄道地図と時刻表。市販の旅行ガイド。だけ・・・。自分で移動の度に電車の切符を買うらしい。右も左も解らない国で、言葉も通じないのに本当に大丈夫なの?電車を乗り間違えたらどうなるの?!代理店の知り合いは「大体の場所で英語が通じますし、英語表記も並列されているので大丈夫ですよ~。」の言葉を信じ、もちまえの男らしい?度胸で不安を断ち切った。が、これは後になって大嘘だったことが初日から判明し、「英語なんて通じないじゃん!!!!」と怒りのあまり大声でアムステルダムの駅で叫ぶ事になったのだった。
主人だけは私の超方向音痴を知っているので、黙々と旅行ルートの駅名に印をつけ、注意事項を書き込んだ表を作り始めた。締め切りに追われていてプランが立ったら旅行の事が頭から離れていた私は、「なんて熱心に準備してくれるんだろう~」とその姿をのんきに見ていたのだった。後になって大変な事になるとは知らずに・・・。  次回に続く

1 2 3